抒情と感傷

抒情するアメリカ モダニズム文学の明滅

抒情するアメリカ モダニズム文学の明滅


週末の準備もなんとなく目鼻がつくが、もうこれは時間不足という感じでまとめてしまった。あと一カ月あったらもう少し密度が上がっただろうに…といまから言い訳してもはじまらないか。せめて本番でがんばろう。


で、上の本はその準備の過程で気になったのでいまさらながら通読。著者は「ロマンティック・モダニズム」という表現を頻用しており、それは通念からすると撞着語法的なのだが、いわゆる「抑圧の回帰」としての「センチメンタル・モダニズム」という議論を踏まえて、それを最大限まで拡大しつつ可能性ギリギリまで押し広げている感じ。


なによりも、19世紀のメルヴィルから20世紀後半のビーチボーイズまで、詩・小説から演劇・ポップ音楽まで、これほど広いジャンルと時代に渡る対象を驚くべき密度で論じつくしながらあくまで一貫した主張と方法論をくずさないでいられるのがスゴイ(しかも、あまり力技めいていない、非常に繊細なやり方で)。


ちなみに、自分がインターテクスト性については不勉強で、自分自身のツールとして意識して追求しようと思ったことはなかったんだけど、このような正統的でありながら、なおも逸脱的で攪乱的な読みの実践を見せつけられると、とたん魅力的な批評概念に思えてきてしまうから不思議。「拡大モダニズム」というのはもっと広まっても良い考え方でしょう(アメリカの方が長い、という主張は、おそらくもう少し検証されてしかるべきところなんでしょうが)。


そういえば、週末の米文のほうの企画の発想もここらへんにあるのかな? などと。重なってなかったら行ってみたかったので、残念。