神戸にて

イベントが無事終了。若さが出たというかなんというか、タイム・マネージメントに失敗したのは反省点だし、オーディエンスには過度の集中力を要求して疲れさせてしまったのではないかと心配だけど、全体として非常に楽しかった。どうやら説明不足による多少の誤解もあったようだが、なにはともあれ、ここしばらくの懸案事項が無事終わったのは喜ばしい。


しかし、ここ3年ほどこのイベントには来てはいたものの、事情で受け付け縛りにあっていたので、今回のようにしゃべる方も聞く方も自由に満喫できたのは久々、素直に耳学問の楽しさを再確認してしまった。初日はこっちがしゃべる方で他のシンポ・研究発表は聞けなかった(面白そうなやつもあったのに残念)ため、二日目はその分もけっこういっぱい回る。


まず朝はシンポ 'Noisy Blackness'の最初の二つ、N谷先生のメルヴィル論とN井先生のダビディーン論を。メルヴィルの "Benito Cereno" は読み手の力量もあるのか、話を聞くだけで異様な魅力のある物語に思え、これはぜひ自分で読んでみたい。ダビディーンのほうは奴隷制批判とモダニティの関係という枠組みが大きく、美術の中に抵抗のノイズを聞きとる方法がエレガント。


このシンポは途中で抜けて、後半は研究発表へ。ゼイディー・スミスのフォースターへのクレバーなオマージュ(これも美術関係の話)と、ベケットの批評的誤読について。前者は手際の良い分かりやすい発表。後者は刺激的ではあったが、同時に非常に難しい話で、もっと勉強しようという気になった。


特別シンポはというと、遅れて入ったためにレジュメが手に入らず、しかも大入り満員の後ろの方だったので、完全に話を把握できなくて残念だったが、それでもフルに聞けたO智先生の緻密な分析が冴えていた。やっぱりもっとアメリカのことも知らないといけないですね、と反省。


だが、色々あった中でも、今回の個人的メインイベントは日曜日の昼間に、著名なシェイクスピア学者、御年80歳のS山先生に話しかけていただいたことだろう。S山先生はちょうど1950年代にハーバードに留学中、私が発表で取り上げたキングスリー・エイミスの小説をその出版直後に読み、しかも帰国直後には現在の私の勤務先と同じ職場で教えていたこともあったのだというお話で、その関係でいろいろ懐かしくてわざわざ神戸までシンポを聞きに来てくださったのだという。今回のテーマ設定が1950年代ということもあり、当時を知る年配の方々にお話を聞く可能性もあるだろうか、とちらっと思ったこともあったのだが、それがこのような形で本当に実現するとは思っていなかったので、これは非常にありがたく、また感涙もの。私のようなものの話をご拝聴ありがとうございました。


で、気がつくと次のイベントまでもう一カ月切っているわけで、すぐ気持ちを切り替えて次の準備に向かわないと、それこそ本当にヤバいことになってしまう。次はかなりの異種格闘技。今回の経験を生かして頑張ろう。