パッシング

The Complete Fiction of Nella Larsen: Passing, Quicksand, and The Stories

The Complete Fiction of Nella Larsen: Passing, Quicksand, and The Stories


昨日、今日と上の本でQuicksand (1928)とPassing (1929)を読んだうえで、次のアンソロジーから、Pamela L. Caughieの"Modernism, Gender, and Passing"への解説を。


Gender in Modernism: New Geographies, Complex Intersections

Gender in Modernism: New Geographies, Complex Intersections


うーん、いわゆる狭義のイギリス文学史を念頭に置いているとこういう話題はなかなかでて来ないかもしれないけど、じつは英国でもあったんだろうね、と思わせる。ただ、Caughieには、「パッシング」概念の拡張だけではなくて、その不安に煽られた当時の反動的立法など、後半の話題をもっと詳しく教えてほしかった(Modernism/Modernityのほうの論文はもっと掘り下げているのか? ちょっと読んでみよう。)ここで言われているように、グローバル化と社会の流動性の増大が「男性/女性」「白人/黒人」の境界線を曖昧にし、多くの人々を「パッシング」へと駆り立てたとしても、「ネイション」に基づくアイデンティティは著者がここで示唆しているほどに簡単に崩れ去ったわけではないでしょう。いや、もちろんこれは歴史的厳密性ではなく、どこに強調点を置くかの問題なのでしょうが。


でも、ラーセン面白いですね。『流砂』のほうは、クレバーで反抗的な女主人公が最後は宗教に走ってしまうところなど、以前読んだメイ・シンクレアの小説第一作(「ニュー・ウーマン」小説のパロディみたいなやつ)を思い出させるところがあったが、ラーセンの主人公の居場所のなさ感(いわゆる"mulatto"なので)は、もっとずっと深刻。当時のハーレムの様子、外側の白人社会とのきわめて微妙な関係やあからさまな敵対視、と思うと、無意識に白人中流社会の生活スタイルの模倣に走っている一部の黒人エリートたちを皮肉に眺める主人公の視点が差しはさまれていたり、こういう時代的な空気は、やはりちゃんと読んでみなければわからないものがありますね。ぐいぐい読ませる小説。