残像

スローモーション考

スローモーション考


 著者よりご恵贈いただいた本。300ページに満たない厚さで、表紙にも手塚治虫の漫画や江夏豊日本シリーズ近鉄を破り喜んで駆け出す)の像が踊り、主に英語教材出版社として知られている出版社からすると型破りなイメージ。内容も英詩にとどまらずスポーツ・ジャーナリズム、絵画美術、マンガ、モダンダンスからヨガまでと多彩で興味を高める書き出しなのでさっと通読してみたら、英詩を中心に論じる第2部に入って急に本格的な論考の構えを示しだす。スポーツクラブのヨガから「ゆっくり」とはどういうことかについて興味を持ち始めたという「おわりに」の逸話をどこまで額面通りに受け入れていいのかどうかは分からないが(たとえば、第七章では受容理論から「ゆっくり」を批評意識に高めるという戦略が語られてもいるし、ある種の「読みの経験」がずっと頭にひっかかっていたような節も見られる)、「考えていなさそう」でじつは「考えている」、「ゆっくり」でちょっと距離を取って書きだしてこちらが武装解除したところで、突如「存在」と「身体性」への陶酔に没入してみせる(ダンスを語った第三章など)書きぶりに良い意味での知的遊戯精神が感じられた。そういえばかつてこの著者に、ぼくが書いたものには「力が入ってる」と指摘され、「テニスをやれば力の抜きかたがわかる」と不思議なアドヴァイスを受けたことがあり当惑した覚えがあるのだが、境界をじゅうぶん意識した上であえてそんな違いなどなさそうにふるまってみせる著者の書き方を読んでみると、なんとなく言わんとすることがすこし理解できるよな気もしてくるのだった。*1流し読みできそうな軽やかさなのだが、おそらく「ゆっくり」読むべきなのだろう、と思わせる本。ありがとうございました。

*1:この底にはもちろん、現代において詩を論じることについての著者の考えていなさそうで考えている戦略が流れているのだろう。いや、おそらく。なにしろ「考えていなさそう」な書きぶりなので、よくわからないのである。これはおそらくこうやって言うよりもはるかに難しい芸当なのに違いない。