その2

フーリガン [DVD]

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フーリガン映画その2。『フットボールファクトリー』は不条理な暴力をひたすら享楽するほかに楽しみのない「労働者階級」の英国人たちのある意味爽快なまでに無反省な日常を描いたものだったわけだが、この映画は同じ社会現象を扱いながら、もっとドラマ性を持たそうとしたもの、ということになるのだろう。


結果、どうか。正直言って、観ていてなんだか納得できないところが多く残った。


主人公はもとハーバード大ジャーナリズム専攻のエリート学生、濡れ衣を着せられたお陰で放校処分になったあと英国にやってきて、ひょんなことからフーリガン仲間に加わる。はじまりは「ドロップ・アウト」。そこからはもう、家族、友情、名誉、過去、復讐、「男」としての成長、そして「現実」への復帰うんぬんというありがちといえばあまりにもありがちな展開がわんさと詰め込まれていて、そうなってしまうともう「フーリガン」はたんなる便利な道具立てにしか見えてこない。前者の映画が描き出した終わりなき暴力のもう笑うしかないような不条理喜劇が、ここでは突然「血沸き肉踊るロマンス」の原素材と化してしまう。


フーリガンに加わった主人公がもとジャーナリスト志望だけに、実は仲間のふりした「覆面記者」なのかどうかと周囲に疑われるようになってしまうところに話のターニング・ポイントがあるわけだが、実際問題として覆面ルポをやるつもりはなかった主人公は、それでもやっぱりフーリガンの世界への外からの訪問者であることに変わりはない。望もうと望まざるとにかかわらず、彼は結局はそこに「属する」ことなしに終わるわけで、そういうどっちつかずの「異界探訪」みたいな物語構造は、なんだか観ているほうが居心地が悪い。


と思ったら、映画を通してフーリガンの世界を知ろうという興味もまたひとつの「異国趣味」でしかないのはたしか。この主人公はそのような私たち観客の無意識の態度をちょっと意地悪くアレゴリー化しているのかな? とまで考えるのは読み込み過ぎかもしれないが*1、まあそれくらいの自己反省はしておいたほうがいいかな。うーん。アメリカというレンズを通してみたイギリスをさらにガラス一枚へだてて観ているような、なんかみょうな感じ。

*1:イライジャ・ウッド演じる主人公は最後にはなんのアイロニーもなく「成長」してしまうので、この居心地の悪さはやっぱり意図的なものではないのだろう。