デッサウ

自分にとっての連休初日。午後から「バウハウス・デッサウ」展 at 東京藝術大学美術館へ。東京で展覧会に出向くのは年末年始以来。上野公園はかなりの人出だったが、展覧会目当ての人たちはおそらくほとんど「ウルビノのヴィーナス」(西洋美術館)か「パリ100年」(東京都美術館)だろう、藝大は穴場だろう、と踏んで来たのに、入ってみるとじつは結構混んでる。ドイツから展示品を取り寄せて本格的なバウハウス展を東京で開くのは、1995年のセゾン美術館以来だそうなので、実に13年ぶりとのこと。


展示は、バウハウスと同時代のほかの芸術運動(アーツ・アンド・クラフツから、ドイツ工作連盟デ・ステイル、ロシア構成主義まで)との相互影響関係を示す第一部*1、特にデッサウ移転時のバウハウスの活動に注目する第二部、そして、「バウハウスの最終目標」であった建築に焦点を合わせる第三部に分かれている。展示物のジャンルも、陶器、織物、椅子、机、電化製品、絵画、建築、バレエなど多岐にわたっていて、多様性がよく分かるようになっている。


この展覧会が特に強調したかったのはおそらく、「教育機関」としてのバウハウスなのだろう。たとえば、基礎課程のヨハネス・イッテン、素材のヨーゼフ・アルバース、色彩のカンディンスキー、形態のクレー、立体のモホイ=ナジ、などなど、それぞれが受け持っていた分野のセミナーに参加していた当時の学生たちの演習製作がまとめて展示されていて、そのクラスでは何が研究されていたのか、何を追及していたのか、バウハウスがその教育活動を通じて、何を理想としていたのか、立体的に立ち上がってくるようになっている。アルバースのクラスで作っていた紙細工が印象的。あとは、舞台教育を担当していたオスカー・シュレンマーのクラスで、「空間ダンス」とか「形態ダンス」とか、仮面を被って抽象表現そのものになった身体に、幾何学的な軌跡を描かせる機械的なダンスを行った際の写真、また、その再現実演のヴィデオなど、とりわけユニーク。


展示物を作ったり、そういう活動に参加したりしていた当時の学生たちは一介の「バウホイスラー」でしかなくて、決して有名ではないのだろうが、でもなんというか、戦間期の、回顧的に見たら必ずしも明るい見通しなどなかったようにも思える時期にそういう活動が熱心に行われて、いろいろな可能性が沸き立っていた雰囲気が立ち昇ってくるように感じられるのは、けっこう面白い。


ただ、その他方で、バウハウスの建築活動がどういう社会的理想に結びついていたのか、あるいは、ナチの台頭からどうしてバウハウスが弾圧されるに至ったのか、などなど、社会的・政治的・歴史的コンテクストについてはもう少し詳しい説明があっても良かったのでは、と思った。あと、藝大美術館収蔵品展のほうでは東京美術学校からバウハウスに留学した水谷武彦と山脇巖の作品が見れるのに、これは入ってみないと分からないのもちょっと不親切。でも、これについては頼んだらカラー図版入りのリーフレットが貰えるのは嬉しい。

*1:ちなみに、この展覧会の最初の展示物は、なぜかゴットフリード・ゼンパーの書物だった(ありがちと言えばありがちなウィリアム・モリスではなくて。)