たまには雑誌も

すぐに済むと思っていたので、午後から事務所に出向いて書類仕事、をはじめたら、あっというまに7時を回ってしまって、忸怩たる思いになり、大いに反省する。出だしが遅すぎた…。もっと一日を有効活用できるようになりたいなあ。


ユリイカ2008年3月号 特集=新しい世界文学

ユリイカ2008年3月号 特集=新しい世界文学


英語青年 2008年 04月号 [雑誌]

英語青年 2008年 04月号 [雑誌]


というわけで、たまに雑誌なども読む。前者は御茶ノ水丸善で見かけ、後者はいただく。ぱらぱらめくってみると、どちらも知人が複数書いていて、意味もなく「そういう時代になったか」と感慨。『ユリイカ』を買って読むのは相当久しぶりではないだろうか。Swiftianaさんの小論は「賞と批評」という僕も関心のあるテーマを取りあげつつ、あらすじ紹介と挿話を織り込み上手い議論の展開(なぜかほかより字がちいさい気がするが)。amyoさんは老舗なのでなにをかいわんやだけど、引用されてるオブライエンの言葉はハンナ・アーレントが触れていたイサク・ディネーセンの言葉と似ている。どちらもべつべつのルートをたどって「倫理」「道徳」や「リアリティとどう向き合うか」といった問題に接近しているようで、野崎歓氏の読み応えのある論考(「地獄の釜」に比すべき小説について)と共鳴している。Nさんは以前話したときに文芸翻訳をやりたいと言っていたと思ったら訳が載っており、着実に業績を築いておられるようだ。そのほかの小論も、「おもしろさ」を伝えることを前面に押し出したものになっていて、とっても便利、おもしろい。企画の勝利。*1


『英語青年』は誌面をずいぶんリニューアルしたのだろうか、気のせいか写真が多くて、コラム的なものも増え、読みやすい。「海外新潮」欄ではtakashimuraさんの情熱のこもった戦後演劇論、shintakさんは700頁に及ぶ大著を内容紹介するかと思いきや「文学や精神分析の無視」を追求するトリッキーな批評性。あとは、第一次大戦研究を紹介するものが情報豊富で良い。これだけ少ないスペースを有効に活用するのはけっこう大変だろうと思う。編集後記のお菓子についての慨嘆が笑える。

*1:ということを書いていたら、名古屋出張のときに書店で立ち読んだ、『新現実』という雑誌を思い出した。大塚英志柄谷行人が対談していて、後者は、「自分が批評をはじめたときは文学のほうが偉かったのに、やっているあいだに地位が逆転してしまった」という趣旨の発言をしていたのを思い出した。ところが、現在、「批評家の死」がささやかれるというのが本当だとしたら、ひとサイクル回ったということになるのだろうか。もしも「小説が息づく時代」と「批評が生き生きする時代」というものがあって、周期的に交替しているのだとしたら、その周期はどうやって生まれるのだろうか。などなど。と考えるよりも、良い作家を見つけて耽溺できる時間のほうが楽しいだろうけど。