年末年始

新年最初の更新。年末に懸案だった某書き物、もっと手こずると予想していたら、案外と年明け前に終わったので(というか、締め切りにあわせて無理やりに終わらせたので、出来具合がやや不安)、年明け以降はしばし仕事のことはほぼすべて忘れてかなりのんびりしていた。いったいぜんたい、こんなんで社会復帰できるだろうか……。


1月1日 初詣に出かける。はじめて井草八幡宮に。ここは、鳥居をくぐってから本殿までの直線道で数年に一度流鏑馬をやるのがならわしなので、砂利ではなくて砂が敷かれている。「一の的」と書かれた標識を発見する。大勢の参拝客で賑わい、一時間ほど並ぶ。気のせいか都心はちいさな子供が多いと思う。


1月2日 高尾山にハイキング。千葉で育った私は「東京の西のほう」は不案内で、これくらい西方に来たのは生まれてはじめて。東京とは思えない観光地然とした雰囲気で和む。出かけたのが遅かったので、山頂に着いたらもう夕焼け、富士山を拝む。降りる頃にはもう真っ暗になっていて、ケーブルカー待ちで30分ほどみやげ物屋のあたりをぶらぶら。あまりの寒さと暗さに心細くなる。


帰宅後、DVDで『善き人のためのソナタ』を観る。ちなみに原題の直訳は『他人たちの生』なのだが、盗聴を続けるうちに他者の生に感情移入をはじめ、いつの間にか彼らの守護天使のような役回りを演じるようになったものの、結局悲劇を回避することができなかった主人公は物語作者/読者のアレゴリーなのではないか、と指摘を受ける。うーん、そうか。媒介という問題についていろいろと気になる部分があり、二度観する。二度目のほうが味わいが深い映画。レーニンはベートーベンの「熱情ソナタ」を批判して言ったという、「この曲を聴くと革命が達成できない」と。


1月3日 早朝出かけてまずムンク展 at 西洋美術館。展覧会自体がかなり久しぶり。病的なものとして「心理主義的」に解釈されることが多いムンクの絵画を、実はさまざまな組み合わせから構成される一体的な装飾プロジェクトとして観るべきだ、という主張に基づく展示。でも、パトロンから子供部屋の装飾を依頼されて『叫び』とか『不安』とか『絶望』とか『スフィンクス』とか『吸血鬼』とかから成る「命のレリーフ」を提案してつっぱねられ、代わりに緑を多用して比較的明るめに描いた絵画シリーズにも結局公園のベンチで抱き合う三組の男女にあからさまな性的含意を担わせて描いてしまい、結局それも拒絶されたムンクは、やっぱりどこか病んでいたのだと思うし、優秀な装飾画家ではなかったのではないだろうか。そんな彼の全作品のなかでは、1910年代から30年代にかけて描いていたという「労働者」のシリーズはどう位置づけられるのだろう。いったんは空虚化したキリスト教的聖像の祭壇装飾様式に、完全に主観的な記憶や欲望に基づく表現主義的で暗さを帯びた生気論的な絵画を内容として充填することに結局は失敗したムンクが、「現代の聖像」を必死に求めて「健全な」労働者像に行き着いた、というような経緯を想像しながら観た自分は、結局ムンク心理主義的に解釈しているのだろうか。


さらに、この日の午後からは北斎展 at 江戸東京博物館。人類学的な資料収集という見地からシーボルトらしき人物が発注してオランダに持ち帰り、一部はフランスの国会図書館に寄贈された北斎工房製作と推測される貴重なコレクションの里帰り展示。新聞の展覧会評にも載っていたように、ここで北斎一派は西洋人の注文だからといって西洋画風のタッチを実験的に用いているようで、浮世絵の画風との折衷が奇妙な効果を生んでいる。フランス国会図書館所蔵のコレクションのほうは、江戸時代後期のめずらしい労働風景を描いていて、船で川を運んできたすいかの陸揚げ(船から陸にぽんぽんと放り投げて、キャッチされる)など、ムンクの労働者なんかよりよっぽど生き生きとしている、と思った。カタログを買うべきだっただろうか。はじめて常設展にも入ったが、再現された江戸〜明治時代の建造物が楽しい。


1月4日 生まれてはじめて歌舞伎を観劇する。予想より面白い。(そういえばこの日には伊東忠太築地本願寺も訪ねたのだったが、ようやく最近思い出した。隠れた名所?)


1月5日 御茶ノ水でたて続けに孔子廟ニコライ堂を訪れる。異国情緒あふれる。


1月6日 午後、一時帰国中の後輩に誘い出されて、しばし銀座で数人とお茶。500種類のお茶を供するという専門店で、聞いたこともないお茶を注文したらたしかにかなり美味しかったので、ひとつ見聞を広げた気になる。西洋風のお洒落なお店に美男子ばかりのウェイターで、「バトラー喫茶」とはこんな感じかと思う(行ったことはないのでたいへん無責任な連想だが)。ひさびさに銀座の朝日屋書店にも足を運ぶ。この夜から今週の仕事に向けての準備を再開。


今年はまず、翻訳を終わらせたい。その後、心ならずも取立て屋になるかもしれない。