紫の謎


夜の9時からNスペで「歌麿・紫の謎」を見た。面白い。アメリカのボストン美術館には、1910年代から資産家のスポルディング兄弟によって収集された喜多川歌麿の浮世絵コレクションがあり、それらはただでさえ褪せやすい色彩の保護のためにおよそ100年間秘蔵されていた。それが近年、デジタル技術による画像の保存や解析の助けを得て、新しい歌麿像が解明されつつあるという話。


実際、僕が美術館などで見たことのある歌麿美人画実作はたいてい色褪せ、背景が無い(もちろん、人物像を強調するためなのだが)こともあって、これまではいまいち地味な印象しか持っていなかった。しかしこのコレクションの保存状態の良さは、そんな印象を一変する。美人浮世絵の第一人者の真の実力を認識させられた。特徴的な紫色の鮮やかさ*1、着物の柄の細やかさ、女性の肌の繊細な柔らかさを表現するためにはしばしば輪郭線を消し去ることすら厭わない大胆さ、うーん、これはスゴイ。寛政3年から8年にかけて実名入り(途中から判じ絵を使用)で美しい町娘たちのポートレイトを描きまくり、そのあまりのアイドル的な人気を危険視した松平定信に弾圧され、検閲を受けながらもまだ描き続ける。歌麿は「危険な画家」だった。


ところで、最近の美術研究は最先端テクノロジーの応用から大きな恩恵を受けているわけで、そういうのはちょっと羨ましい。何かテクノロジー潜在的な可能性を生かすような研究が、自分たちにもできないかなあ。とりあえずは目覚しく発達するデジタル・アーカイヴがあるけれど。ものは生かしよう。「名人芸」ではなくて"Transferable Skills" *2の割合を増やせばディシプリンそのものにもプラスになると思うんだけど(アナログ人間が言うことではないかもしれないが)。


しかし、忙しいはずなのに最近毎日ブログを書いているな…。

*1:露草に赤(もしくは藍だったかもしれない)を混ぜたものだという話。

*2:この言葉の使い方はもしかしたら間違っているかもしれない…。