自戒

つねづね僕もそう思っていたのだが、2月13日付けの内田樹さんのブログになかなか痛いことが書いてあるのを読んで、「やっぱそうだよなあ…」と思ってしまう。症状の自覚はかなりある。ちょっと長くなってしまうが、自戒を込めて引用しておこう。僕らにだって、説明責任はあるはずなのだ。そういえば、先日サイードのインタビューを読みながら考えていたことと、少しだけ連続している。

人文社会学系の若い研究者は素人に自分の専門を説明するときに、いかにも面倒そうに、「あのですね、まあ噛み砕いて言えば・・・」と相手を見下す視線になり、言い終わると(「まあどうせわかりっこないでしょうけどね」という意味を込めて)「ふん」と軽く鼻を鳴らす。
それに対して、理系の諸君は素人相手のときにも(ときにこそ)、自分の研究がどういうものであるかを理解させようとかなりむきになる。
理由の一つは理系の研究はしばしば巨額の外部資金を要するせいで、専門のことをよくわかっていない素人スポンサーに資金導入を決意させる適切なプレゼンテーションをしなければならないからである。
文系の研究にはそれほどお金がかからない。
だから、(私もそうだけど)、自分の研究の社会的有用性や意義について説明する必要があまりない。
というか自分の研究は「社会的有用性のような世俗的なものとは関係ないんだぞ」というあたりにむしろ力点が置かれたりする。
この「浮世離れ」にはもちろんよいところもある。
けれど、今のところは文系学者のプレゼンテーション能力の低下と自分の研究の歴史的・社会的意味について吟味する習慣の欠如という否定的側面ばかりが目に付くのである。