時の守護者

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち


2002年の後半からしばらくのあいだ日本を離れていた僕には所謂「浦島太郎ネタ」というものがあって、たとえば、センター試験の英語リスニングでイヤホンを全員に配布するとか、缶コーヒーにボトル状のものがあって、蓋を開け閉め出来るとか、携帯カメラであの怪しげなデザインを撮影すると、なぜか特定のサイトにワープするようになっているとか、いいかげん既に帰国してから1年も経っているのに実は最近になってから気がついたことが少なくない。


そして、「内田樹」というのも僕にとってはそれにやや近いものがある。言わずもがなのことだが、彼はフランス文学・思想研究者としてはもうベテランで、80年代の中盤からすでにあの難解なエマニュエル・レヴィナスの著書の翻訳を7,8冊出している。でも、それは世間一般的に言えば所謂「地味な仕事」。そんな彼の初めての単著『ためらいの倫理学』が出たのはちょうど2001年の3月のことで、それからゆっくりと時間をかけてウチダ節が世に聞こえるようになっていった。ここ4,5年だけで10冊以上も矢継ぎ早に出版している。そして、僕が日本に舞い戻ってきたら、今「現代思想」に関心がある人で、彼の著作を読んだことの無い人のほうがむしろ珍しいくらいになっていた。


というわけで、僕が初めて手に取ったウチダ本は2006年の4月に出た『態度が悪くてすみません』なのだが、その時は軽いエッセイ集ぐらいにしか読めなくて、どうもいまいちピンと来ず、この人の言説が現在のところ占めているユニークなポジションについてはなかなか気がつかなかった。


それが今回、この『下流志向』を読んでいて少しは腑に落ちて来た。といっても、それをきちんと言語化するにはまだ時間がかかる気がするのだが。先に言っておくと、この本に書いてあることの7,8割はネタみたいなもので、論証不可能だし、むしろ誤っている可能性の方が高いと考えるのだが、それでも、僕は「これはかなり面白い」と思ってしまった。そういう読後感は不思議と言えば不思議。いったいなんでなんだろうか(以下続く)。