年末年始の美術探訪①ビル・ヴィオラ

 2006年12月28日(木)、夕方からの仕事の前に、森美術館at六本木にて「ビル・ヴィオラ: はつゆめ」展を見た。


 ヴィデオ・アートの歴史や伝統などについてはまったく予備知識を持っておらず、このジャンルに属する実作品を見た経験もほとんど無かったが、ごく素直にこの作家の作品世界に没入できた。*14メートルを超える巨大なスクリーンの上に火と水に包まれて消えてゆく男の影を映し出す「クロッシング」(1996)、前後から異なる映像をプロジェクターで投影し、その間に等間隔で吊るされた10数枚のヴェールに複層的なイメージを浮かび上がらせる「ベール」(1995)、プラズマや液晶モニターといった機材を使用し、超スロー再生によって「動く絵画」のように人々の表情の変化を見せる「アニマ」(2000)など、ハイテクを駆使している一方で、そこに表現されている主題はどれも、「水」「火」「時間」「パッション」などなど、きわめてエレメンタルでファンダメンタル。


 広々とした美術館のスペースを贅沢に使って、足元も危ぶまれるほど照明を落とした静かな空間の中に、突如轟音とともに出現する「ミレニアムの五天使」(2001)など、なにかこうとても思弁的でありながら、それでいて素手で見る者の感性に直接的に触れてくるような感じがする。


 僕の専門的な関心からすると、ヴィオラが1998年にゲッティ・インスティテュート*2に滞在して以来手がけているという〈パッション〉シリーズなどが面白くて、もっといろいろ見てちょっと研究してみたい。


 ただ、どうなのだろうか、この「パッション」を顔の表情を通じて表現するためにヴィオラは役者たちの協力を得ているようなのだが、「演じられた」感情と、あくまでもspontaneousなものとして想定される感情とには、やっぱり違いがあるわけで、そのような観点からヴィデオ・アートの背後のシナリオみたいなものの存在に野暮なケチをつけてみたくなる。地下鉄の駅のプラットフォームのような空間(勿論実際はスタジオ)に互いの存在に無関心そうに立つ15,6人の男女が突如として奔流のような水に襲われる「ラフト/漂流」(2004)はその点、ハプニングの要素を導入しようと試みているのかもしれない。その他の作品とは見た後の印象が少し異なるような気がする。もっと動的な、動揺に近いものがある。危ないし。


 絵画に慣れた眼には、映像というものの「生々しさ」が改めて新鮮に感じられた。ヴィオラの作品全体を語る上でキーワードを一つに絞れ、と言われたら、おそらく「時間」を選ぶだろうな。運動のイメージ。


 また展覧会があったら是非見たい、と、そう思わせる作家。ちなみに年明けからは兵庫県立美術館に移るようですね。お勧めしますよ。

*1:この作家についてより詳しくはhttp://www.billviola.com/を参照。ご自分のサイトだろうか?バイオグラフィーを読むと、宗教的な感性を持った人であることが分かる。

*2:http://www.getty.edu/