エッフェル塔

エッフェル塔 (ちくま学芸文庫)

エッフェル塔 (ちくま学芸文庫)

今朝、バルトの『エッフェル塔』を久々にちらっと読み返して、以下の部分にふと思う。

…現在、塔が何かの役に立つという存在理由は、それが科学への強い信仰によってどんな尊厳をもとうとも、人々の想像力にうったえかける塔の持つ偉大な機能、すなわち、まさに人間的であるということで人間の役に立っている機能と比べれば、何ほどのこともないからである。とはいえ、人間の手で作り上げられた何かが、何の意味も持たないということ、それどころか意味を持たないということに重要な意味があるということ、これは、いつの時代にあっても決して簡単に容認されはしない。無償の意味は、必ず合理化されて何かの有用性を与えられないではいられない。だから当時の人々はあやうく非合理に近い、壮大ではあるが異様な夢、という名の合理性を塔に見ていた。だが、エッフェル自身は、塔を、まじめで理屈に合って役に立つものと考えていたのである。
 この相反する二つの動向は奥が深い。なぜなら、建築術とはいつも夢であると同時に機能であり、ユートピアの表現であると同時に快適さの手段なのだから。*1


ロラン・バルトは、実のところ建築を介して「ユートピア」について考えているのではないか?「無意味なもの」「無益さ」としてのユートピア、とか。

遠くないうちに、『サド・フーリエロヨラ』を読むべきかな。なんとなくフーリエに惹かれる今日この頃。WBも、そしてWLですらもフーリエの読者だったわけで、ちょっと異様な感じがする。

*1:同書のpp.16-18から