意図を読む

インテンショナル・ファラシー*1はそれほど大事ではなく、実のところ破るためにあるようなルールだ、とひそかに思っている。

というのも、人との対話にしろ、書物にしろ、絵画にしろ、その相手がどんな人なのか、という(漠然とした)イメージをつかむのはとても大事なことだと思うから。要は、どれだけしっかりしたイメージをつくりあげるかだけが問題なのだ。

ただ、その裏をかえせば、「イメージ」の創造/想像はそれほどに困難な作業だ、ということなのだが。

今日は午前中から雨が降っていました。

*1:「意図を読むのは誤謬」という新批評のドクトリンのひとつ