狂気の鎧に身を固めて

Armed with Madness (Penguin Modern Classics)

Armed with Madness (Penguin Modern Classics)


2001年6月の出版になっているから、実に6年も前のことになるんだ。原著は1928年、退廃的なボヘミアン生活を送る若者たちが、ほとんど反人間主義的な静寂ばかりが支配するカントリー・ハウスにやって来て繰り広げる冗談じみた、だが半分は深刻な聖杯探求の遊戯。表紙を彩るマン・レイの写真に惹かれてこの本を手に取った私は、スティーブン・ヒースの序文にも煽られて、夢中で読み進めた覚えだけは今でもあるのだが、当時の私にこの濃密に美的なテクストときわめて実験的なスタイルと構造を読み解けるだけの英語力があったわけはなくて、それはメアリ・バッツのほかの短編集とか、この著作の前に出ていた長編処女作についても基本的に同じことが言えて、いろいろ買ってはみたものの結局はろくろく知っているとも言えないような状態で今まで来たのだったが、それでも、彼女の日記(モダニズムの一次資料としてかなり貴重だと言われている)や子孫による伝記が出たのは耳にしていたし、メアリ・バッツの特に神秘主義に焦点を合わせて書かれた彼女の作品についてのはじめての批評的研究書がたいへん期待外れのものに終わったらしいという話も聞いていたのでとても残念に思いつつ、そういえば例の本の一章分で取り扱われているらしいということだけは一応気にしていたわけだった。そして、そういうなかで昨日はメアリ・バッツが日本でも学会で取り上げられるようになって来ていると知り、そういう嬉しい驚きがあるのはやっぱり大きな知的刺激なので、はたして今だったら僕は彼女の作品をどのように読める(あるいはやっぱり読めない)のだろうか、と夢想しながら、そういう時間をまた取れるといいなぁ、と考えているのだった。それにしても、このタイトル、どうやったらうまい翻訳になるでしょうね。あまりその方面には関心がなかった僕が、文芸作品の翻訳をしてみたいなあ、とふと思った最初の作品でもあるのですが、まあ一生かかってもやるチャンスにはめぐり合わないかもしれませんね。なかなか。もう一方のドロシー・セイヤーズについては、高校生から大学生ぐらいの時期に個人的な推理小説ブームがあって、アガサ・クリスティからクリスチアナ・ブラントに至る線の途中で読もうと思っていたことはあったのだが、結局はあまり読んでいなくて、ああ、そういえば狼と同時代の作家だし、こういう読みもできるんだ、と目からうろこが落ちる思いだった。創元推理文庫で2、3冊買った覚えはあるんだけど、まだ持っていたかなあ。とまあ、そんな感慨。

11月19日追記:「趣味判断」という問題について考える。それを不問に付すのではなく、かといって盾に取るのでもなく、美的判断に真摯に向き合うためにこそ批評することはどのようにして可能か、などなど。