休暇中に読んだ本①

Slow Man

Slow Man


おもに行きの飛行機の中で読む。話は、初老の主人公、Paul Raymentが自転車に乗っている最中に交通事故に遭い、片脚を失うところから始まる。Paulは移動の自由を奪われるが、義肢を装着することもかたくなに拒み続ける。自分の肉体と男性性の衰退に悩まされた彼は、孤独感をうめあわせるかのように、クロアチア出身の訪問看護師Marijanaと彼女の美しい子供たちに懸想しはじめる。


途中、突如として小説家Elizabeth Costelloが主人公の生活にずかずかと乗り込んできて、いったんはメタフィクション的になりかかるのだが、そのCostelloですらも最後に近づくにつれて、どんどん「作者」ではなく「登場人物」めいてくる過程がなんともおかしい。Costelloとの関係で、Paulは自分がじつは「登場人物」なのではないか、と一時的に深く悩むことになるわけだが、実際は語りのレベルに一貫してもっとも近いのは彼自身の意識だったりして、そう考えると、Costelloはまったく創造者らしくない、という、そこらへんがJ・M・クッツェー自身のやや逆説的な作家性を示唆しているのかも。自分の小説の登場人物かもしれない人間に最後まで拒まれ続けるという、この奇妙でやや喜劇的な不自由さ。


そういえば、ヒロインであるMarijanaのセリフにはマラプロピズムが目立つが、主人公のPaul自身もフランスからオーストラリアへの移民であると設定されていて、「英語」という言語に安住することはできていない。ここらへん、やや安易ながら、スティーヴン・ディーダラスを思い出させる。ここでは、人間と言語との関係は、もうひとつの不自由さの層を成している。


ところでクッツェーの新刊(_Diary of A Bad Year_)も出ていた。やっぱり、見かけたときに買ってくればよかったかなあ。*1

*1:9月6日追記:クッツェー新刊の書評はこちらで見れる。