パブリシティ

マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ

マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ


先日古書店で遭遇した本。原書(_Privacy and Publicity_ )は以前から読んでみたいな、と思っていたのだが、なんだ、こんなに早く翻訳が出てたんだ。他分野の著作はあまり頻繁にチェックしていないので、よくこういう見落としがある。こんなのを偶然見つけることが出来るのも古書店の魅力か。


内容はもう邦題の通り、アドルフ・ロースル・コルビュジエの近代建築を「表象のシステム」と見なし、高速交通とマス・メディアのテクノロジーによって変容された知覚と都市空間の文脈に置き換えると何が言えるか、というもので、まあ模範的な「芸術的」モダニズムのリヴィジョニズムを1994年の時点で達成していたわけで、やっぱり建築学の分野は目先が利いている。


ただ、この著作での「近代における知覚と都市空間の変容」はベンヤミンに依拠したかなり理論的な枠組みで、文化史研究からはシヴェルブシュとか、ボウルビーが時々注に載っているぐらい。今だったらもう少し「手厚い」記述を期待したいところだけど(ベンヤミンの使用法は模範的でかなり参考になるのだが)、コロミーナはその代わり、本題であるロースとコルビュジエについて手堅いテクストの読み込みと資料収集で本領を発揮してくれている。


ロースの乖離的建築、ラウムプランについては、以前読んだ際はちんぷんかんぷんだったが、コロミーナの説明ではじめてなんとなくイメージがつかめた。でも、外側は「仮面」でしかなく、写真でもよく分からない建築というと、僕らのような素人は中に入ってみる機会もほとんど無い訳だし、その真実の姿は一生拝めないかもしれない、というのはなんとも残念な話だ。*1以前パリで門前まで行った「トリスタン・ツァラの家」を思い出す。


ロースのこの「もどかしさ」(もっとも、それが魅力でもあるのだが)に比べると、ル・コルビュジエは「近代!都市!建築!」でやっぱり一本突き抜けたところがあり、その突っ走っている感じがよく伺えるエピソードが楽しい。『レスプリ・ヌーヴォー』編集に携わった5年のあいだ、コルビュジエは「管理と財務」を担当し、芸術の単なる「解釈者」ではなく、積極的に産業・新聞・雑誌・宣伝など、メディアの世界に関与し続けた。そのようにして彼は近代的マス・メディアに介入する「芸術家=生産者」としてのノウハウを蓄積した。


例えば、彼は宣伝契約を手に入れるために、産業カタログから切り抜いてきた様々なイメージを集め、実際に自分の雑誌に掲載して既成事実を作った後で、「御社の製品は時代精神を代表するものとして選ばれました」といって、企業がこの宣伝から受ける利益について支払いを請求する、なんてこともしたらしい。普通の宣伝広告とはまったく逆の手口で、これでは雑誌の広告スペースの押し売りだ。まさに、情熱的な「モダニズムの総会屋」としてのル・コルビュジエ(表現が悪い?)。


じっくり読みなおせば、いまでも利用価値の高い著作だと思う。

*1:ちなみに、ロースが私淑したらしいゴットフリート・ゼンパーの「被覆の原則」とは何だ?という疑問をここにメモっておこう。