食べる絵画

食べる西洋美術史  「最後の晩餐」から読む (光文社新書)

食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む (光文社新書)


ワザとやっている可能性は大だが、タイトルのつけ方はややミスリーディング。というのも、美術作品は基本的に一定の距離を置いて視覚によって眺めるもので、その眺め方がどれほど「触覚的(haptic)」であろうとも、基本的に僕らは作品に触れたり、それを口に含んで味わったりはしない(それを逆手に取った現代美術作品などもあるが)。芸術作品、特に絵画というジャンルは宿命的に視覚的でしかありえない。絵画の存在様態そのものの根底に身体感覚の疎外がある、というのは言いすぎかもしれないけど。ともあれ、で、「食べる西洋美術史」?著者自身もそこのところはよく了解しているようで、例えばスペインのジュゼッペ・デ・リベラの「五感の寓意」画に続く説明では、絵画は視覚的でしかありえない、でも、だからこそその限界を超えようとする主題が現れる、と解く。*1で、たしかに、本当に感動を覚えたときの絵画体験は、もう身体的としか言えないような次元に入っているのだ(矛盾しまくっているけど)。


ただ予想通りというかなんというか、実際に食べ物を「喰っている」人々の絵というのは珍しいもので、多くの絵画は食卓で談笑している人々、あるいは、食品を売る市場を描いた風俗画、食料品そのものを題材にした静物画、この3パターンにあてはまる。


ちょっと文句をつけてるような書き出しになってしまったが、実はこの本、読んでみるととても面白く、宗教絵画から世俗絵画への移行とか、「静物画」の出現とか、スペインの「ボデゴン」の精神性とか、「食」を介して導入される美術史的主題群には率直に言って興味が尽きない。なによりサンプルに紹介されている作品の選び方がとても良い。特に、口絵5に収録されているヴィンチェンツォ・カンピの『リコッタチーズを食べる人々』(1580頃)は一度見たら一生忘れられないくらいにインパクトが強い。それくらいキモい。


個人的に一番面白かったのは、16世紀後半のフランドルの2人の画家、アーツェルンとブーケラール。17世紀民衆風俗画の隆盛に先駆けるこの2人の作風はいかにも移行期の画家のそれで、宗教画の主題と静物画や風俗画の視点が一つの画面に奇妙にも共存している。例えば、ストックホルム国立美術館が所蔵のブーケラールの『エッケ・ホモ』は磔刑の地へと歩を進めるキリスト像は食物市場で戯れひしめきあう群衆の中に目立たないように描き込まれているだけで、注意して探してみないと居るのか居ないのかすら分からない。神の受難に気づかない民衆の愚かさを教訓的に描いている、とも解釈できるのだろうが、実は画家の関心は市場の生き生きとした雰囲気に惹きつけられているのかもしれない。*2


いやはや、これはほとんど「ウォーリーをさがせ」の世界。「偶然的な他者」?いや、そもそもなんで「ウォーリー」を探さなければならないのか、そのことから考え直したほうが良いのではないか。


ウォーリーをさがせ!きえた名画だいそうさく! (新ウォーリーのえほん)

ウォーリーをさがせ!きえた名画だいそうさく! (新ウォーリーのえほん)


ああ、あとメモっておくと、ベラスケスの『水売り』(1620-23)が小さな白黒写真で見ただけでも逸品。*3ロンドンの「ウェリントン美術館」という場所*4にあるそうだから、次に行くときには必見。

*1:同書p.145-6

*2:p.113

*3:p.167

*4:Hyde Park Cornerにあるやつか?不明…。