翻訳者の使命

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)


不勉強な話、僕はこの著者のほかの仕事を知らず、この本を手に取ったのも学術翻訳にたずさわる者の端くれとしての義務感めいたものからだったのだが、実際に読んでみると予想よりずっと面白い本だった。翻訳例の検討は全てドイツ語からなのでその当否を判断する能力は僕にはないが、マルクス、カント、ヘーゲルからのよく知られた一節を引いてきているのでとっつきやすい。この本のミソは翻訳の問題をより大きな社会的問題につなげようと努力しているところ。原文の構造そのものを再現するかのような過剰な逐語訳に見られる衒学主義、悪しきアカデミズムは、もともと貴族社会に対抗して登場した市民階級の「教養」理念が上からの近代化の過程で歪められ、「市場」と「教養」が不毛な二項対立に陥った結果生まれた。翻訳論と近代化論とのあいだのつながりは(著者自身認めるように)もしかしたらそれほど確固としたものではないかもしれない。しかし、アカデミズムばかりを気にして読者の方を向かない日本の学術翻訳の悪弊を痛烈に批判し、新しい「教養」の時代の到来のためにより良質な翻訳を求める結語の部分などは、個人的にちょっと励まされているような気もして、少し元気が出る本になっている。


特に読みどころになっているのは、『資本論』の既訳を検討して京大の河上肇よりも高畠素之(1886-1928)*1に軍配を上げる第一章、赤旗事件による投獄からの出所(1910年)後に堺利彦大杉栄らが立ち上げた「売文社」にその高畠が関与した事実を教えてくれる第四章あたりだろうか。著者の立論では、輸入学問とジャーナリズムの距離が近づいたこの歴史的地点にある種の可能性を見るということになるのだろうが、しかし、だとすると、その後、戦中・戦後にかけて、日本の学術翻訳が再硬化してしまった歴史的経緯もありそうな気がして、そこらへんもやや気になる。いつかもっと詳しく読んでみたい。


ちなみに著者はナチス・ドイツに関する歴史書などの翻訳のほか、ジンメルハーバーマス、ちくまのマルクス・コレクションで『資本論』の新訳(三島憲一と共訳)などを手がけている。何を隠そう、僕もマルクス岩波文庫の難解さに挫折したクチなので、『資本論』新訳は近いうちにぜひ手にとってみることにしよう。2005年の夏に出ており、おおむね評判は良いようだ。


ま、とりあえずは翻訳、翻訳。

*1:この人物についてより詳しくはウィキペディアに。彼のユニークな思想的経歴についての解説が充実している。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%95%A0%E7%B4%A0%E4%B9%8B