言葉のちから

ここ数日は「一日一ユートピア」といった感じで翻訳作業を続けています。千里の道も一歩から…。


英語レポートを添削しながら読み進めるが、これが蝸牛の如きスピードで、なかなか進まない。難しいことを書こうとする真面目な学生さんほど、日本語表現に発想がひきずられてみょうな英語になってしまい、そういう症例を骨格から改造するのはけっこうたいへん。素直に、平易な英語で書けば、もっといくらでもよりよいものに仕上がると思うんですが。


反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)


いいきっかけだったので、以前から読みたかったものを。著者の指摘する「五重の排除」の5項目の最後には、自己責任論=自助努力の過剰から来る「自己からの排除」が入っている。豊富な具体的事例に裏づけられた著者の主張は、困難な暮らしを営むひとびとの「実存」まで届く視線を備えているということなのだが、それが決して「感情論」(ここでは悪い意味での)に行きつくわけではなく、貧困問題を告発するためのあらたなことばの創造(たとえば、「社会的企業」を詐称する派遣会社を「貧困ビジネス」と名づけなおしたり、あとはshintak氏も注目している「溜め」という言葉も)にはじまり、具体的な数字や社会政策レベルの議論をつうじて、ついには一度は廃れてしまった、「市民」や「社会」という言葉の意味付けなおしすらも射程に入れる。


ここで具体像を描かれた「貧困」とは彼岸にある「リアル」として眺められるものではなくて、むしろそうした生の現状をを放置しておく(あるいは積極的に増大させる者たちを野放しにし、ときには奨励すらしている)私たち全員もまた、あるいは私たちの社会全体こそが貧困なのだ、と思わされた。この「貧困」を乗り越えるためには、どうしたらよいのか。